:::: ラストシャフル :::: 劇団6番シード第23回公演 池袋演劇祭参加公演
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「声が出ない! 〜初めての戦争作品、苦難の船出〜」

 1999年、一月。武蔵野芸能劇場の楽屋で、久間は珍しく声を荒げた。
「そんな声で舞台に立てる訳がないだろっ!今までやってきたことは何だったんだ!」
 本番前の舞台稽古を終えた富沢謙二と小野寺正人はかすれた声で返事をした。ちょっとした不注意で出した大声の台詞が、稽古で負担をかけ続けていた喉に決定打を与えたのだ。
 楽屋に重い空気が流れた。
 本番まであと、36時間だった。

「戦争を扱うということで、今までとは違う難しさがあったね。俺自身も戦争を知らない世代な訳だし、言葉のひとつひとつにも気を配った。いつもはもっといい加減に書くんだけど。でも最終的には戦争を描きたいのではなく、その時代に生きた人間を描きたかったんだけどね。だからいつもと変わらないかな」
 週のはじめの稽古は、新しく渡された台本の注釈から始まった。
「オイド?柳行李?」
「教育勅語って聞いたことはあるけど…」
「大東亜共栄?」
「オカチメンコ?」
 久間は若い役者たちに説明して聞かせた。オカチメンコとは女の子をからかう当時の軽い悪口だった。
 稽古が始まる。役者が説明されたばかりの台詞を言った。
「やーい、おかめチンコ」
放送コードにひっかかった。

 

「南太平洋の小島に移住していた日本人たちが、戦争が終わったことを知り故郷である日本に帰ろうとする、その船の上の話なんだ。クライマックスでは高波の中を船の舳先が上下にゆれながら幻であるアメリカ艦隊に突入しようとする、そこでね、」
美術打ち合わせの場でも久間はヒートアップしていた。
「本当に船の舳先が上に下にガーンガーンって揺れるんだ。そうだな、下に空気ボンベでも入れればいいじゃないか、それで波がバーンって、その時役者がぐわーってなって、波バーン、舳先ドーン、機関銃ズドドド、役者うわー…」
擬音好きだった。

保険証を持たないまま、富沢謙二は耳鼻咽喉科で喉に注射を打った。2万円だった。喉の温存の為、ゲネプロは中止され、オープニングの南太平洋の民謡を歌うシーンも、高音が出ないからと、富沢自らが願い出て別のシーンにさし変わった。その民謡シーンが、喉が枯れる前に収録された舞台稽古のVTRに残っていた。
「♪親の貧乏が子にたたりぃ〜生まれぇついてのぉスカンピン〜」
音痴だった。
「やらなくて正解ですね」
VTRを見た富沢は冷静に分析した。

 
 

喉注射、喉スプレー、温熱マッサージ、主食のど飴、すべての手を尽くして二人の声は大声を出せるにまで回復していた。
舞台装置に空気ボンベはなかった。久間はこう振り返る。
「当時の技術の限界ってのもあるけど、最終的には芝居の中身のほうにもっと集中したくて、余計なことはやめたんだ。それくらい難しい芝居だった」
 幕が開き、富沢謙二扮する山師と小野寺正人扮する元軍人が対立する冒頭のシーンが始まった。「ON THE WAY HOME 〜南十字に背を向けて〜」は無事出航した。

公演終了後のアンケートにこう残されている。
―役者さんのハスキーな声が、時代の雰囲気を醸し出してたと思います―
「皮肉なもんだよな」
と久間は笑った。

 

「ON THE WAY HOME 〜南十字に背を向けて〜

1999年1月28日〜31日
三鷹芸能劇場
 時は昭和22年、南太平洋の平和な小島スタボラに、いまだ終戦を知らずに暮らす日本人達がいた。ある日彼らの元に母国日本の敗戦を伝える知らせが届く、しかも終戦は2年前のことという。
驚いた彼らは老朽化した貨物船を修理し、日本を目指して船出する。
 流れ者の山師、封建制の日本を逃れていた女達そして現地人の日本人化をすすめていた教師、誰もが1日も早く祖国の土を踏みたいと願う中、一人船長の桜木だけは違っていた。