:::: ラストシャフル :::: 劇団6番シード第23回公演 池袋演劇祭参加公演
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「おい、そっち持てそっち!」
「違うよ、早くしろよ」
「桐の林が…桐の林が…」
1994年、池袋小劇場の最前列に座った客の耳には、暗闇から聞こえる役者たちの悲痛なひそひそ声が届いていた。
「台詞…じゃないよね。今、真っ暗だし」
真っ暗の舞台上では今なお格闘が続いている。6番シード旗揚げ公演「桐の林で二十日鼠を殺すには」第三幕から四幕への場面転換。桐の林が林立する庭のシーンから、いよいよクライマックスへと向かうその瞬間、悲劇が訪れた。
二分間の暗転。無音だった。

久間は当時をこう振り返る。
「いやあ、桐の木の寸法を間違えちゃったんだよね。それで袖にハケきれなくて、あっち持てこっち持てってな具合で、二分間待たせちゃった。そもそも劇場に桐の木を10本くらい持っていったらね。そこから無理ってな話」
勿論本物の桐の木ではない。しかし、試行錯誤の末に完成したのは、竹の木を何本も束ねて作った20キロ近くあるシロモノだった。
結局、木だった。

久間は結成から旗揚げ公演までに一年半の月日をかけた。基礎練習から始まり、幾度とない通し稽古を踏んで、結成時6人だったメンバーも8人まで増えた。微増だった。
初めて売れたチケットのことを久間は今も思い出すという。
「所沢にある大きなホールを借りて練習をしたことがあって。そこの館長さんが通し稽古を見て気に入ってくださってね。太っ腹にチケットを買ってくれたんだ」
二枚だった。

久間はデビュー作にサスペンスを選んだ。その後に続くコメディやラブストーリーといった作品群とは一線を画す、異色作だった。
「ほら、サスペンスだと続きが気になってしょうがないでしょ。役者に新しいページを渡す時にびっくりさせてやりたくてさ、それだけの理由でサスペンス」
その作品が、97年、2001年に再演することとなる代表作となった。

97年の再演では後に劇団で作・演出を担当する松本陽一が役者としてデビューした。
松本は当時をこう語る。
「スタッフとして手伝ってくれって言われてやってきたら、いきなりホン読みをやらされたんです。何かの間違いだと思いながらも読んでたら、いきなり、声が小さい、とか、もっと感情を深く読んで、とか、無茶苦茶ダメだしされた。あまりの理不尽さに腹が立ったので、このまま引き下がってたまるかって、気付いたら舞台に立ってました。今になってみれば、久間さんにうまくハメられたって感じですね」
久間はこう語る。
「あ、そうなの」
何かの間違いだった。

1994年、池袋小劇場。旗揚げ公演を成功させたい、その一心が久間を動かした。
「何をやってるんだっ!早くしろ」
舞台袖で待機していた久間は、たまらず暗転中の舞台に飛び込んだ。
「痛っ」
主演女優とぶつかった。
「もういい、これ以上、お客様を待たせる訳にはいかない」
久間は決断した。
「明かりをつけろ!」

 照明がつき、クライマックスの天宮家の研究室のシーンが始まった。役者たちも落ち着きを取り戻している。久間は舞台袖で祈った。
「どうか見つからないでくれっ」
研究室に置かれたベットの脇に、ハケきれなかった桐の木が二本、残っていた。

バレバレだった。

 

次回は「帽子を特注しろ!〜執念で挑んだズラズラ大作戦〜」
―星より昴く―
桐の林で二十日鼠を殺すには」
とある田舎町の県道で起こったバスの横転事故。嵐の中乗客たちが避難した先は、桐の林に囲まれて建つ、古びた洋館だった…。
田舎町でひっそりと暮らす医者とその息子。バスに乗り合わせたシスターや新聞記者、貧乏学生たち、そしてアル中のバス運転手。登場人物たちの過去と現在が交差するサスペンス。親子の絆を問うクライマックスは、後の久間作品すべてに通ずるメッセージのようでもある。



---ちらしの歴史---
1994年、旗揚げ公演。
池袋小劇場


1997年、再演。阿佐ヶ谷アールヴィゴ


2001年、再々演。
サムザ阿佐ヶ谷