第九話  「扉の向こう側」

 「黒のスカイライン。確かに修理したね、随分前だったけど覚えてるよ」
 宮岡と森口は東京湾アクアラインを抜けて、横浜に到着していた。松本の家から15分ばかり歩いたところにある自動車修理工場で、その工場で働いている熟練の修理工がそう言った。
「その車のナンバーとか分かりませんか。その車の持ち主はどんな人でしたか」 宮岡が矢継ぎ早に質問する。
「さあな、そこまで覚えてないよ。黒のハコスカほどは特徴のない男だったな。それに、一見の客だったから、ナンバーも控えてないよ。部品が無かったんでニ、三日待ってもらったけど、修理自体は簡単だったからな」
「おじさん、僕らはそれどころじゃないんですよ。もっと真剣に思い出してください」
森口が修理工に食ってかかった。
「俺だって修理がたまっててそれどころじゃないんだよ。それにちゃんと思い出してるよ」
修理工は森口の言葉に態度を悪くした。
「ごめんなさい、お忙しいところをご無理言って。でも、大事なことなんです。人一人の命に関わっているんです」
と宮岡は懇願した。
「そういわれてもな、思い出すのはここまでだよ」
と修理工が話を切り上げようとした時、傍らで作業をしていた金髪の男が口を開いた。
「黒のハコスカなら、こないだ見たよ。確かに珍しいしカッコいいんで、あ、こないだ修理したやつだってすぐ分かった」
「それは、どこで見たんですか」と宮岡。
「あれは確かね、あ、そうだ。米軍のやつらにボコボコにされた日だから、横須賀だ。横須賀の街に停まってた」
「横須賀?」
宮岡がそう聞き返した時、宮岡の携帯電話が鳴った。
着信には、富沢謙二と表示されていた。
「謙二さん、帰ってきてたんだ」
森口が覗きこんで言った。
「もしもし」と宮岡。
隣の森口にもそのまま聞こえそうなほど大きな富沢の声が、携帯から聞こえてくる。
「あづさか。今どこにいる」
「横浜です。今、重要な手がかりを得て、今から・・・」
「こっちも重要な手がかりを得たんだ。今、カズさん達とそっちに向かってる。これから横須賀に向かう」
「・・・え」
「だからあづさ達も合流しろ」
「合流も何も、私達も今から横須賀に向かおうとしてたんですよ。黒のスカイラインが目撃されたって情報を得て・・・」
「そうか、じゃあ向かう先は同じってことか。森口に伝えとけ、あんまり先走ると痛い目にあうから、もし犯人を見つけても俺達が来るまで待てってな」
そう言い放って電話は切れた。
「だいたい聞こえたけど、何て言ってたの」
と森口が聞いた。その質問を無視して宮岡は次の行動へ思慮を巡らせていた。
「運転は・・私がするわ」
そう言って宮岡は車に飛び乗った。

                        ×       ×       ×

 早瀬の配達車が横須賀に着いた時には、もう街灯が灯り始めた時間だった。
「時間指定に遅れるどころの騒ぎじゃないですね」
と藤本が運転する早瀬に言った。
「チラシに始まって、ポスター、大道具の資材、このルートに就いてありとあらゆるものを稽古場に運びましたからね。これはもう何が何でも本番を迎えてもらわないと、僕だって公演を楽しみにしてるんですから」
そう言って早瀬はハンドルを握り直した。
「あ、そう言えば、このトラックには面白いものがあるんですよ。これ」
早瀬はカーラジオの横に付いている配線を指差した。
「面白いもの?」と藤本が尋ねる。
「マイクですよ。この車は以前、巡回販売用の車として使われてたみたいです。だから、このマイクを使って、犯人に向かって『お前は完全に包囲されている』とか言えますよ」
「なるほど」
と藤本は笑った。そんな二人の横で小沢は一人、宙を眺めていた。昨日稽古場で富沢の言った言葉が頭から離れなかった。
―誘拐するのはトム君じゃなくても良かったかも知れないな―
おそらく青柳の目的は自分だ。それには僕自身を誘拐するより、他の誰かを誘拐して共犯者にさせる、そのほうが苦痛も大きい。小沢はそう考えていた。そして、事実そうやって苦しめられたのだ。何度みんなに言おうとしたことか、その度に電話がかかってきて、松本の命と引き換えに彼の言いなりになるしかなかったのだ。 「でも、あの青柳君が何故・・・」
小沢は心の中で呟いた。

                        ×       ×       ×

「藤本さんから聞いた住所だとそろそろだね」
廃墟となった製鉄所に向かいながら森口は言った。
「あと3分もすれば着くわ」
1分でも惜しいと宮岡は思った。そんな思いが自然に運転を乱暴にさせていった。
「単なる偶然か、あるいは・・・」
森口は急にキザな口調で言った。
「何が」と宮岡が聞き返す。
「いやね、これも台本の台詞だよ、松本さんが演るはずの敷島の台詞さ。俺とあづさは、犯人と松本さんが千葉からアクアラインを通って横浜に行き、そして横須賀に行ったということを突きとめた。そして富沢さんや藤本さんも松本さんの掲示板に残した暗号を解いたりして、同じく横須賀にいるということを突きとめた。これはきっと偶然なんかじゃ・・・」
そう言って森口は言葉を切った。森口の視線は一点を凝固して動かなくなった。
「どうしたの?」
「あづさ!車を止めて!」
あまりの剣幕に宮岡も急ブレーキを踏み、車を路肩に乗り上げた。
「何よ、一体どうしたの?」
そう尋ねた宮岡を無視するように、森口の視線は10メートルほど先にあるガード下の、一台の車に注がれていた。
 そこに停まっていたのは、黒い色で四角いボディをした、スカイラインだった。
「・・・あれは」
「・・・ええ、間違いないわ。黒のハコスカよ」
森口は目を凝らした。車内には誰もいないようだった。
「廃墟となった製鉄所は、もう目と鼻の先よ。おそらくこれは・・・」
「犯人の乗っていたスカイライン・・・」
森口はそう言うや否や、車を飛び出して歩き出した。
「どうするのよ」
宮岡が窓から顔を出して言った。
「あづさは予定通り製鉄所に行きな。俺はこの車を見張ってるから」
「でも・・・」
「そのほうが万全だろ」
そう言い残して森口は再び歩き出した。ここは彼の言う通りにしたほうが良い。宮岡は、森口の後ろ姿に大きく頷いて、車を発進させた。

                        ×       ×       ×

早瀬たちは、車を廃墟となった製鉄所に入口の前に停めた。
「ここ、ですね」
藤本は誰に言う訳でもなく呟いた。その時、当然後部の荷台の後部扉が開いて、富沢が腰をさすりながら出てきた。
「定員オーバーだから荷台だなんて、6Cの名前の由来じゃないんだから」
そう言いながらも視線の先は廃墟となった建物にあった。
「ここか。さて、どうしたものかな。突撃するか」
「いや、落ちついていきましょう。犯人が逆上したらやばいですから」
と藤本が答える。
「そもそも、まずはここにいるかどうかを確認しないとな。卓、見て来いよ」
「見て来いったって、入口の扉を開いただけで、この狭い建物なら犯人にばれてしまいます」
「僕が確認するよ」
そう言って小沢は携帯電話を取り出した。
「どうする気ですか」と早瀬。
「僕なら彼と連絡を取ったって怪しまれない。今、上石神井の稽古場にいるということにして、それとなく探ってみるよ」
小沢はそう言って携帯の履歴を押し始めた。
  その時、一台の車が早瀬の配達車の横で急ブレーキをかけて停まった。富沢達に緊張が走る。
「トム君は?」
運転席から飛び出してきたのは宮岡だった。藤本は、まだ分からないという意味で首を横に振った。
「森口はどうしたんだ」 と富沢が尋ねる。
「それが今、ここから少し手前で黒の・・・」
と宮岡が言いかけた時、暗闇の静寂の中に、かすかに音楽が聞こえてきた。その音は製鉄所の中からだった。
「・・・電子音だ。携帯の・・・」
小沢は携帯の液晶画面を確認した。呼び出し中、となっている。
「・・・奴は、中にいる」
富沢が言った。

                        ×       ×       ×

 しばらく遠目で見守った後、森口はもう少し近づいてみることにした。運転席にも後部座席にも人のいる気配は無い。森口はさらにその車ににじり寄った。
「・・・まてよ、犯人がこの車に戻って来た時、背後からガバッといくほうがいいな」
我ながら冴えている。森口はそう思って踵を返した。その時、ふと嫌な考えが森口の脳裏をかすめた。
「・・・トランク殺人。人殺しはだいたい死体をトランクに詰めるよな。まさかな、でも・・・」
森口はガード下の地面をまさぐって、一本の針金を見つけた。
「ガキの頃、よくこれでチャリンコを盗んだよな。原理はきっと同じだ」
意を決して森口はその車に走り寄った。そしてトランクの鍵穴に、その針金を差し込む。
「死体なんか出てくるはずは無いよ。そうだ、犯人の持ち物とかそういった重要な手がかりが出てくるんだ。そうに違いない」
ガチャガチャと針金を回したり折ったりして、何とかそのトランクを開けようと森口は次第に夢中になっていった。
 背後から忍び寄る、黒い人影にも気付かない程に。

                        ×       ×       ×

 宮岡にはその時間が随分長く感じられた。
  街灯も無い暗闇の中に、その電子音がしばらく鳴り響いた。そして、そのフレーズが何度か繰り返されて、突然、電子音は消えた。 小沢がゆっくりと携帯を耳にあてる。
「留守番電話に転送します。メッセージのある方は・・・」
小沢は携帯のボタンを押して、皆に伝えた。
「出ない。今そこにいて出なかったのか、それとも、携帯だけ置いてあったのか・・・」
「やっぱり踏み込むか」と富沢。
「それは危険です」
と藤本が制する。
「説得、しましょう。犯人を」
早瀬が言った。
「でも、どうやって」
と宮岡が尋ねる。
「それは・・・」
その時、突然小沢が車にあったマイクを掴んだ。
「何をするんですか」
と早瀬が止めようとしたが、小沢はその制止を振り切って、マイクのスイッチを入れた。
「・・・青柳君。君に何があったのかは分からないけど、僕が悪かったのならどんな償いでもする。だから関係の無い人を巻き添えにするのは、もうやめにしないか。君の罪は僕は問わない。きっとトム君も問わないと思う。だから、だから僕たちに、五井沢村のバス停を見させてもらえないか。君も芝居をやってたんだから分かるはずだよ。本番を迎えることがどんなに大変で険しくて、そして崇高だという事が。お願いだ、青柳君」
 横須賀の暗闇に、その声はしばらく響いていた。しかし、建物の中からは何の変化も感じられなかった。
「やっぱり、踏み込もう」
そう富沢が言った時、その廃墟の2階の窓にぼんやりと人影が写った。そしてゆっくりとその窓が開かれた。
「やっぱり、いたのか」
と富沢は身構えた。しかし、すぐにその異変に気付いた。
  その人影は、窓から身を乗り出して、何かこちらに向かって喋っている。しかし声は聞こえてこない。
「・・・口にガムテープが・・・あの姿は、トム君だ!」
と宮岡が気付くや否や、富沢はもう走り出していた。藤本も、早瀬も、そして小沢と宮岡も後に続いた。
 扉を一つ開け、二つ開け、二階へと走る。階段を駆け上がって、最後の扉を富沢が蹴破った時・・・その向こう側に、松本の姿があった。腕を縛られ、口にガムテープを巻かれてもがいている。
 富沢がガムテープをはがし、宮岡がロープをほどく。
「大丈夫か、トム君」
富沢が松本の身体を揺すった。しばらく松本はぼんやりと宙を眺めていたが、やがてはっきりとした口調で話し始めた。
「・・・もう、桜は咲いてしまったか」
「まだ、大丈夫よ」
宮岡が答えた。
「そうか、だったら阿佐ヶ谷にはまだ間に合うな」
早瀬が、小沢が、藤本が駆け寄って松本を抱え起こした。
「謙二さん、戻ってたのか。遅すぎるよ、助けに来るのが。いくら稽古嫌いといっても、こんなにサボったら久間さんに怒られるだろ」
「シャレにならないな」
と富沢は笑った。
「そうだよ、シャレになんないよ。あー、稽古場に戻るのか、辛いな」
そう言って松本は、自分の力で歩き出した。
 その後ろ姿を見守りながら、宮岡は藤本に向かって呟いた。
「帰りましょう、上石神井に」
「違うよ。行きましょう阿佐ヶ谷に、だろ」
 そうね、と宮岡は笑った。                  

つづく

               次回は、最終話「張り詰めた空気」
です。お楽しみに。
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