第五話  「南北線の会話」

「チラシを持って五井沢村に行こう!ってのはどうだい」
「松本さん、疲れてるんスよ、何ですかそれ」
「いや、チラシのキャッチコピーだよ。五井沢村っていうのは作品の舞台となる場所、つまりザムザ阿佐ヶ谷のことさ」
そういって松本陽一は地下鉄南北線に揺られながら笑った。横にいた藤本は、行き詰まるとそうやって茶化す松本を、半分あきれ顔で眺めていた。
「じゃあこういうのはどうだ。『このバス危険、間もなく横転します』」
「駄目です」
「じゃあ、『二十日鼠は出てこない』。なかなか的を得てるだろ」
「それいいかも。でも演出家が何て言うか・・・」
そんな取り止めの無い会話をしながら、二人はチラシ撮影の行なわれるスタジオへと向かっていた・・・。

                   ×       ×       ×

 「眠っても、いいですか・・・」
 稽古場の二階で藤本はチラシを眺めながら、そこに書かれたキャッチコピーを思わず声にした。電車に揺られ、いくつものボツ案を考えた事。撮影が思ったより順調に進み、カメラマンと一杯飲んだ事。そしてそこに、松本がいた事を思い出していた。
「あのビデオに映っていた黒のスカイラインで、何者かに連れ去られたとしたら・・・」
思慮を巡らせながら、藤本は階段を降りていった。
 藤本が休憩所に入ると、メンバー達が松本の残した台本を囲むようにして何やら話し込んでいる。提案者はこの書き置きを見つけた末永のようだ。
「五井沢村のバス停が見たい、常識的に考えてこれは松本さんが俺らへ残したメッセージでは無いでしょ」
「何で」
「だって推理小説じゃあるまいし、何で失踪する前にそんな暗号みたいな文章を残すのさ。そんな馬鹿みたいなことをあの人がすると思うかい?」
「ダイイングメッセージの可能性は?」
と松本雄介が真顔で尋ねる。
「何とんちんかんなこと言ってんだよ、ダイイングメッセージっていうのは、死ぬ前に被害者が残すものだろ」
「違うよ、そういった感じの・・・つまり、松本さんが何らかの事件に巻き込まれた時に慌てて残していった言葉ってことさ」
「さらわれる直前とか?でもいなくなったのは稽古場だぜ」と山田。
「でもあり得るよ。俺が思うに、そういった何かの事情でこのメッセージを慌てて書いた」と末永も同調する。
「確かに、書きなぐった感じはある」
「こういうのはどう?」と加藤も話に加わってきた。
「メッセージのつもりなんかじゃなく、何か書きかけている時に事件に巻き込まれた。だからそこで止まった」
「つまり、五井沢村のバス停が見たい、の続きの文章があるってこと?そう考えると確かに何か書きかけた跡があるように見えなくもないな」
と末永が身を乗り出した時、稽古場から小沢が顔を出した。
「いつまで休憩してんだ、そんなことを言ってたってトム君は戻ってこない。今僕たちが出来ることは精一杯稽古することだけだ」
そう言って小沢は再び稽古場に消えた。


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 ゆっくりと鍵穴にささった鍵を抜き、扉を押す。埃っぽい空気が一面に広がった玄関。人の気配は無い。
 宮岡と森口は、大家さんに事情を説明して松本が以前住んでいた横浜の一軒家、つまり五井沢行きと書かれたバス停の上部らしきベニヤ板を発見した場所を捜索してみることにした。
白髪の整った大家さんと興味津々の隣のおばさんが、宮岡と森口を中へ案内していく。
「去年の7月に松本君たちが出てから、誰も借り手はついていないよ。私もこの家に入るのはそれ以来だ。引っ越した直後にハウスクリーニングしたから、埃以外は何も残ってないはずだよ」
と大家さんが宮岡に説明した。
「すいません、ご無理言って。でも何だか偶然じゃないような気がするんです」 宮岡は森口が持っているバス停の上部らしき板をちらりと見やった。和室の部屋には当然何も置かれていない。畳にうっすらと埃が積もっていた。
 隣の部屋は洋室だった。部屋に光を入れる為、閉め切った雨戸を大家さんが開け始める。その様子を見て森口が手を貸した。
「せーの、よいしょ・・・あ」
滑りの悪い雨戸を森口が押した時、その一枚がガタンとはずれてしまった。
「あらあら」とおばさん。
「随分前からサッシがいかれててね。簡単に外れてしまうんだよ。そう言えば前に松本君が言ってたな。鍵を忘れた時はこうやって雨戸と窓を外して中に入れるって」と大家さんは笑った。
「あ、僕の家もトイレの窓を外して入れるんですよ。こつがあるんですけどね」
と森口。
「これもね、直すのにはこつがあるんだ」
そう言って大家さんは、よいしょ、と簡単に雨戸を元通りにはめ込んだ。感心している森口を尻目に宮岡は他の部屋の捜索に回った。
 物置の中から見つかった五井沢村のバス停、そして松本の残したメモ・・・。
「きっと、偶然じゃないはず」
宮岡にはそんな予感がしていた。埃だらけの廊下を歩いて台所に足を踏み入れた時、その予感は的中した。「・・・・ちょっと、こっちに来てよ」
 宮岡の声を聞きつけて森口が台所に顔を出した。
「どしたの、何か見つかった?」
そこには呆然と立ち尽くしている宮岡と、その宮岡の足元に散乱している、ジュースの空き缶やカップラーメンの空容器があった。
「ハウスクリーニング屋の忘れ物?そんな訳、無いよ、ね」
森口の独り言に大家さんが答える。
「そんなはずは無いよ。誰かがこの家に侵入したんだ」
「こつを知っている人なら、鍵が無くても簡単に入れるんですよね・・・」
宮岡の言葉に、さすがに勘の悪い森口も誰のことを言っているのかが分かった。
「このバス停を見るために、松本さんはここへ来たのかな。だとしたら目的は達成したことになるな。今ごろ稽古場に戻ってたりしてね」
「本当にそうならどんなにいいか・・・。トム君はいつここに来たのかしら」
「ゴミの量を見ると何日かはここにいたみたいだね」
「松本君はいついなくなったんだい」
大家さんの後ろにいたおばさんが、宮岡に尋ねる。
「あの大雪の日です」
「ああ、あの日かい」
おばさんは何やら必死で思い出そうとしている。
「何かあったんですか」
「いやね、夜の9時くらいだったかね。寝ようと思って玄関の戸締りをしようとしてたらね、表で車の・・何て言うのかな、タイヤが雪でぐるんぐるんいってる音が・・・」
「スリップ」
「そう、スリップしてる音が聞こえてるんで、大変だなーと思って見てたのね。しばらくしたら走りだしたんで、安心して寝ちゃったんだけど・・・」
「だけど?」
「うん、次の日、この道の先にその車が止めてあって、それからしばらく何日か止まってたの、その車」
「それはどんな車でしたか」
「普通の車だったよ。ちょっと古い感じかな。黒、黒かった」
二人は懸命にビデオに映った車を思い出そうとした。
「黒、だったよね、確か」
森口がそう呟いた時、大家さんが埃の被ったステンレスの流し台を覗き込んで言った。
「これは、何だろう」
「どうしたんですか」
と宮岡も覗き込む。厚く積もった埃に指でなぞったように何やら書かれている。それは0から8までの数字が羅列したものだった。

「何だこりゃ」
「これはきっと、いたずらにせよ、ここに侵入した人物と同じ人が書いたものだね」大家さんは言い切った。
「何でですか」と森口。
「なぞられた跡にはまだ埃が積もっていない。ごく最近書かれたものだよ。それに・・・」
そう言って大家さんは空き缶を一つ拾って、逆さに振った。水滴が数滴床に落ちる。
「このゴミもハウスクリーニング屋の仕業ではないだろう。飲み残したジュースがまだ乾燥していないんだから」
「おお、名探偵登場だ」
と森口が茶化した。
「おそらくその黒い車で、大雪の日に松本君はここに来た」
「すばらしい推理ですね。でもこの数字にどんな意味があるんだろ。暗号か?」 「ちょっと待ってください」
「何だよあづさ、このまま大家さんに事件を解決してもらおうよ」
「あの大雪の日、トム君、松本君は千葉県にいたんです。それも夜の6時ごろに。おばさんがその車を見たのは夜の9時。どうやってその時間に横浜に来る事が出来るんですか」
「車飛ばせば何とかなるだろう」
「あの日は大雪だったんです。高速道路は閉鎖されていたし、一般道も相当の規制がされていたはずです。とてもじゃないけど3時間じゃ横浜には着けません」
「そっか、そうだよな」
 その後、大家さんから名推理を聞くことは出来なかった。二人は五井沢村のバス停と、その数字の羅列をメモしたものを持って、横浜を後にした。

                   ×       ×       ×

 「こんにちはー、宅急便でーす」
午前十一時半、早瀬は稽古場の玄関にいた。最初に覚えた名前ということもあって、早瀬はこの劇団に親しみを覚え始めていた。
 藤本と小沢が姿を現す。
「チラシ追加分でしょ」
と藤本が待ち構えていたように言った。
「僕の手が映ってるやつですよね」
と小沢もおどけて見せた。
「最近は時間通りですね」と早瀬に藤本が尋ねる。
「いやあ、すいません新人なもので。最近ようやく慣れてきたんですよ。でも6番シードさんの荷物は、何でいつも午前中指定なんですか」
「いつもご無理言ってすいませんね。午後は通し稽古なんかがあって、稽古をあまり中断したくないものですから」と小沢。
「何ですか、通し稽古って」
「本番と同じように最初から最後まで通して稽古することです」
「大変ですね、役者さんも。あ、そう言えばここのルートの前の担当、確か昔役者やってたって言ってたな。ここにも来てたと思うんですけど、知りません?」
「いやあ、さすがに覚えてないですね」と藤本。
「青柳さんて言うんですけど」
「さあ、どんな人だったかも・・」と小沢。
「そうですよね。役者だからって、顔見たことあるって訳でもないですよね。でも何だか楽しみになって来ましたよ。どこであるんですか、その公演」
「阿佐ヶ谷の、ザムザ阿佐ヶ谷っちゅう劇場です。観に来てくださいよ」
とバスの運転手長本役の妹尾が割って入ってきた。
「前に下見に行ってきたんじゃけど、これがええ劇場でなあ。わしの役は、97年の再演は松本さんが演った役なんじゃけど、これがまた・・・」
と郷土のなまりを前面に押し出して妹尾がまくし立て始める。小沢は苦笑いしながら妹尾を見つめた。
 ザムザ阿佐ヶ谷、か。チラシの撮影をする数週間前に下見に行ったことを、藤本は思い出していた。その時はまだ松本さんもいた。藤本の脳裏にまた、南北線での松本との会話が蘇った・・・。

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「桐の林の中に、五井沢村のバス停か。いいレイアウトだね」
少し酔っ払った顔で松本は言った。チラシ撮影を終え、その表情も緩んでいるように藤本には見えた。
「裏面まで今日出来るなんて、デジタル技術はホントいいっスね。でも実際は桐の林にバス停なんかある訳ないですけど」
と言った藤本に、松本が答える。
「馬鹿、だからいいんだよ。この商売はお客さんのイマジネーションの世界なんだ。こないだ下見に行ったザムザ、いい劇場だっただろ。あそこを五井沢村に見せるのが俺たち役者の仕事なんだよ。そしたらお客さんの頭の中には、天宮家の屋敷も、桐の林も、もっと言えば、その前に敷島や下坂やシスター達がバスを待っていた五井沢のバス停も、きっと想像できるはずなんだ。まずは俺たちが本番を迎えてその光景を見ないとな」
酔って語りモードだな、藤本は微笑んだ。

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「バスを待っていたバス停は五井沢じゃなくて下長塚なんだよね」
 稽古場で以前、下坂役の福井が言った言葉を、藤本は休憩室で思い出していた。
「そうか、松本さんも勘違いしてたんだ。バス停は五井沢じゃなくて下長塚だったんだよな・・・」
 その横で、末永が台本の書き置きをまだ見つめている。
「バス停が見たいのは・・・、バス停が見たいから・・・、バス停が見たいはず・・・」
「何言ってるの」と藤本が尋ねる。
「いや、このなぐり書きの文章の続きに、何か書こうとしてペンを走らせようとした跡があるように見えるだろ」
「確かに、見えなくも無いけど・・・」
「だからさ、この文章には続きがあるんじゃないかと思ってね、考えてるんだよ。五井沢村のバス停が見たいので・・・五井沢の・・・」
「続き、か・・・」
「五井沢村のバス停が見たい、なら・・・見たいなら、金よこせ。見たいなら、言う事を聞け、なんてね」
末永が苦笑して立ち上がろうとした時、
「今、何て言った・・・」
と藤本が呟いた。
「バス停が見たいなら、金よこせ。犯人の要求、なんてね」
「五井沢村のバス停が見たい、なら・・・恐喝」
「どしたの?」
そうだ、確かに松本は南北線の車内でこう言った。
=まずは俺たちが本番を迎えて、その光景を見ないとな=
「五井沢村のバス停を見たいなら・・・本番を迎えたいなら・・・」
「は?何言ってんの」
「松本さんが誰かに脅されていたとしたら」
いや、でもそれは南北線で酔っ払って松本さんが言った言葉だ。誰かが松本さんを脅していたとしても、それを聞いているはずはない。藤本はそう思った。あの時その言葉を聞いていたのは、俺と・・・・・・もう一人、いた。チラシ撮影を終えてカメラマンと一杯飲んだのは、俺と、松本さんと・・・いやそんなはずは無い。藤本は頭を振った。
「そうだよ本番でその光景を見ようよ」
南北線でその男は松本にそう言った。
 南北線に乗ったのは松本と藤本と、もう一人。チラシの手のモデルをした・・・。
 「小沢さん、だ」

        
つづく

次回は、第六話「長いトンネル」です、
お楽しみに。

次週の更新までに、この失踪事件の重要な鍵を握るヒントがホームページのどこかに掲載されます。お見逃しなく。
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