第三話  「ルート16」

「婦長、停電です」
「すぐにつくわよ」  
藤本卓の操作するノートパソコンから、ガラスの割れる音が流れる。
「新生児室のほうだわ」
「私、見てきます」
「はい、OK。じゃあそのまま次、一幕の準備して」  
  そういって演出家久間は席を立った。「桐の林で二十日鼠を殺すには」のプロローグシーンの稽古を終え、メンバー達は10人が一度に登場する第一幕、天宮家のリビングのシーンの準備を始めている。
「バスが横転して避難してきたんだから、もうちょっと疲れた感じかな」
と女子大生裕美役の萩巣。
「そうだね、一時間山道を歩いてきた、って言ってるし」
雑誌記者下坂役の福井が答える。
「でも、この家が見つかってやっぱりほっとしてるんじゃないかな」
シスター里美役の宇佐木が、修道女らしい歩き方を研究しながら言った。稽古場では本番が迫ってくるにつれ、緊張感が高まってきている。壁に掛けられたホワイトボードも、書き込まれた連絡事項やマグネットで止められた書類などで余白はもう無くなっていた。
「下長塚から五井沢行きのバスに乗って、・・・あ、その時はもう土砂降りだったのかな」
「バスの停車場で、すでにシスターとは顔を合わせているはずだよね」  
第一幕が避難した先の天宮家なのに、そこに辿り着くまでのストーリーを考えながら稽古場がにわかに盛り上がる。
「肩書きも五井沢の村営病院の嘱託医です。ヤブではありますが、医者が私の本業・・・」
天宮家の主人、天宮良造役の小沢は、その輪に入らず一人黙々と台詞を反すうしていた。その姿を見て福井が不思議そうな顔をしている。
「あ・・・俺、勘違いしてた。五井沢からバスに乗ったんじゃなくて、五井沢に向かうバスに乗ってたんだよね。で、五井沢に住んでいる天宮先生の家に行ったってことか」
「そうよ。停車場は下長塚だよ」と萩巣。
「ということは途中で横転したんだから、みんな五井沢村のバス停は見てないんだね」
福井は、言った瞬間に後悔した。それを聞いた一同も態度に表れないように努めたが隠しきれなかった。『五井沢村のバス停が見たい』そう書き残して消えた松本陽一。その姿を稽古場で見なくなって三週間が過ぎようとしていた。
「二階の防音室にいるから、出番になったら呼んで」
そう言って小沢は、ちらりとホワイトボードに目をやって階段を上がっていった。 書いては消され、消されては書かれるボードの片隅に、もう随分前から書かれたままの連絡事項が残っている。キャスト発表の時のものだ。
― 月刊現代正論記者、敷島役・松本陽一 ―

                   ×       ×       ×

 「婦長、停電です。すぐにつくわよ・・・新生児室のほうだわ・・・私、見てきます」  
 メンバーが稽古をしている同じ頃、国道16号線を走るレンタカーの中で、森口麻生は台本を読んでいた。
「ト書き。舞台明るくなって天宮家の屋敷内。舞台下手に崖崩れで・・・・うわ、ちっちゃい字見てたら気分が悪くなってきた」
「馬鹿。少し黙っててよ」
そう言って宮岡はハンドルを握り直した。向かっている先は千葉県にある五井町である。
宮岡は松本の部屋で見たビデオテープの映像を思い出していた・・・。     

 

「台本に登場する架空の地名って確か・・・」
そう言って森口はビデオを巻き戻した。各地の大雪の状況伝える報道特別番組でキャスターが中継地を呼ぶ。
「五井海岸から中継です。五井町の○×さん・・・」
宮岡の肩から力が抜ける。
「馬鹿、台本に登場するのは五井沢。五井じゃないわよ。それにあれは架空の地名だし、それが日本のどこにも実在しないことも調べてあるの」
「違うよ」
と、森口はタイミングを計って一時停止を押した。
「ここ」 と画面を指差す。
「どこよ」
「ほら、このレポーターが立ってる後ろの国道。車が止まってるだろ。助手席にいる人。似てない?」
宮岡は言葉を失った。雪と風に苦しみながら喋っているレポーターの後ろの車にオレンジ色の服を着た男が乗っているのが映っている。
「確かに、似てる・・・トム君に。稽古着も、そうよ、とっても目立つオレンジ色のを着てた・・・」
ビデオを再生に戻すと、再びスタジオの画面になった。二人は何度も巻き戻しや一時停止を繰り返した。
「うーん、画面が鮮明じゃないな。本当に松本さんかなあ」
「この画面だけじゃはっきりしないわね」
「でもさ。五井沢村のバス停が見たいってことは、そこに行きたいってことだよね。でもそんな地名は実際には無い。じゃあ、五井でも井沢でも似たような地名の町に行ってみようって思ったのかも」
「そうかな」
そう言いながら宮岡は、松本がそんな理由で消えるはずは無いと思った。あの書き置きにはもっと別の理由があるんじゃないか、連絡の遅れることをあれだけ嫌がっていた人が、何の連絡もよこさないほどの特別な理由が。でもいくら考えてもその理由はすぐには思いつかなかった。
「とにかく、このビデオをみんなに見てもらいましょう」

                   ×       ×       ×

「裕美――とんでもないわ、朝まで歩いてたら、私なんて死んじゃってたわ。・・・シスター瀬野――皆さん、神が守り、守り・・・守りきゅううた?」
「守り給うた。まもりたもうた、って読むの。もう、また気分が悪くなるんだから台本読むのやめなさいよ」
 相変わらず緊張感の無い森口にいら立ったせいか、宮岡の運転は乱暴になっていた。確かにビデオに映っていた男は松本に似ていたが、その後、松本が稽古場を出たのは、玄関に残された足跡から午後七時以降だったとメンバーから聞いて、やはり別人だと思っていた。あの中継は午後六時より前にあったからだ。それなのに、こうして五井町に向かうことになろうとは。宮岡は焦っていた。
「ねえ、松本さんって、何でトムって呼ばれてるの」
台本を読みながら森口が尋ねる。
「トムハンクスに似てるから」
素っ気無く答える宮岡。
「あ、確かに似てるね。トムハンクスか、最近いいよね、彼」
お前は友達か、と突っ込みたかったが宮岡はもう相手にするのはよそうと思った。
「グリーンマイルの彼も結構いい仕事してたよね。でもね、グリーンマイルは映画より小説のほうがよかったよ。読んでてゾクゾクしたもんな」
徹底的に無視してやろう。宮岡はもう目線も合わせないようにした。
「最近、映画見た?映画だったらねえ・・・」
森口は、そんな宮岡にお構いなしに話し続ける。
「シックスセンスかな。あれは怖かったよ。・・・ねえ聞いてる?」
シックス・・・。そう、だから今こうして五井町に向かっているんだ。宮岡の頭に再びあの映像が蘇った。

                   ×       ×       ×

「シックス、だ」
パソコンの画面を見ながら藤本が呟いた。画面にはあの中継画面に映っていた男が大きく拡大されている。宮岡たちが稽古場に持っていったビデオテープは、パソコンに取り込まれ、拡大したり鮮明にしたりする加工が施されていた。
「顔は暗いんでこれが限界ですね。松本さんに見えなくもないし、別人のようでもあるし・・・」
「シックスというのは?」と小沢が尋ねる。
「この部分です。オレンジ色の上着の肩の部分。ここにプリントされている文字かな、確かに6という数字ですね」
「でも、それだけじゃな」 と森口。
「よく警察なんかだと、そういう小さな特徴でその上着のメーカーや販売ルートを特定したりしますよね。でも、ちょっと変なんです、確かに画像が荒いんでよく分からないんですけど、この6って数字、デザインにしては何か雑って言うか、まるで剥がれ落ちそうな感じに見えるんですよ」
「剥がれ落ちる?」 宮岡が聞き返した。
「何か貼り付けた感じというか、まあ、あくまでそう見えなくもないって話ですけど」 その時、後ろで覗いていた山田が呟いた。
「松本さんって、山本浩二のファンでしたよね」
「何だよ突然。そりゃあ、あの人は広島出身だからな。広島カープのファンだろ」
「山本浩二の背番号は8なんです。だから、松本さん、8ってプリントしてあるオレンジのジャージを買ったって自慢してて・・・」
「あ・・・」 宮岡も何かを思い出したようだ。
「それで、この間の飲み会の時に、6番シードなのに8は変だって、酔っ払ってみんなでその8のプリントを無理矢理剥がして・・・」
「トム君がいなくなる前の週だ、その飲み会。私もいた・・・」と宮岡。
「6って数字に変えたんです。白いテープを貼り付けて・・・」

                   ×       ×       ×

  五井町を中継したのは午後六時前。あのビデオに映っているのがもし本人だったとしたら、稽古場に残っていた足跡は、一体誰のものなんだろう・・・。宮岡の頭はどんどん混乱していく。国道16号線を千葉方面に向かいながら、運転が乱暴なのは森口のせいだけじゃないな、と宮岡は思った。                    

つづく

次回は、第四話「離れの納戸」です、
お楽しみに。

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