第二話  「ビデオテープ」

「あづさじゃないか、久し振りだね」
「あら偶然、今から稽古場?」
「うん。この駅もちょっと見ないだけで随分懐かしい感じがするな」
そんなとりとめの無い会話をしながら、森口麻生と宮岡あづさは上石神井駅から稽古場へと向かう道を歩いていた。二人ともしばらく稽古を休んでいて、今日は久し振りに稽古場へ顔を出そうと思い立ったのである。小さな町なので、駅や稽古場へ向かう道で顔を合わせる事もさほど珍しいことではない。
「稽古場の玄関をくぐった瞬間に、僕をみんながどう思ってくれているのか空気で分かるんだ。役者はその場の空気が読めないようじゃ駄目だね」
道すがら、森口は自慢気に役者論を一人で語り続けていた。宮岡はにこにこ笑いながら相槌を打っている。  しばらく歩くと見慣れた稽古場が姿を現した。
「何か、緊張するなあ」
稽古場の玄関を前にすると、あれほど喋り続けていた森口が黙りこくってしまっている。
「何やってんの、行こ」
と宮岡は気にせず玄関の扉を開ける。
「おはようございま・・・・す」
宮岡の足が止まる。何かがいつもと違う。
「何やってんだよ、入ろうよ」
と森口は急に元気になっている。
  普段の稽古場とは違う、張り詰めた重い空気が玄関にまで漂っていた。その場の空気を読んだのは、宮岡のほうだった。

                   ×       ×       ×

 松本陽一が稽古場から姿を消して一週間が過ぎていた。その後、彼からは何の連絡が無いこと、家にも帰った様子がないこと、そしてついに警察に捜索願いが出されたことを、宮岡と森口は集まっていたメンバーから聞いた。
「携帯も家の鍵も稽古場に置いてあったんです」
「かたっぱしから知り合いに連絡してみたんだけど・・・」
「何か心当り無い?」
稽古場に集まったメンバー達は、宮岡達に矢継ぎ早に語った後、再び何も言わなくなった。この一週間、ありとあらゆる手を尽くして探してみたものの、何の手がかりを得ることも出来なかったのだ。
「五井沢村のバス停が見たい・・・」
メンバーの前に置かれた、松本が残していった台本に宮岡が目をやる。
「五井沢村のバス停っていうのは何なんですか」
「そうか、麻生君はこの台本を初めて見るんだよな」
と、小沢が森口に説明を始める。
「五井沢村っていうのは、この台本に出てくる地名なんだ。東北地方のどこからしいんだけど、勿論、実際には存在しない」
「―桐の林で二十日鼠を殺すには―、旗揚げ公演の再演なんですよね。その架空の場所に行きたいって、変な話だな」
「警察にも、何の手がかりにもならないって笑われたよ」
「そうですか・・・」
と森口。 何気無く言った宮岡の一言が場を一層重くした。
「自殺を考えるような人じゃなかったけどな」

                   ×       ×       ×

「もう、ちゃんと探しなさいよ」
「探してるよ、もういろいろみんなが見てるんだから、普通の所を見たってね、手がかりは出てこない」
と言いながら森口は流しの裏に顔を突っ込んでいた。  
  何か手がかりはないかとさんざん探し尽くされた松本の部屋で、森口と宮岡は格闘していた。新しい二人が捜索すれば、みんなが見過ごしていた「何か」を発見できるかも知れないと考えたからである。  
  ニ時間後、二人が発見したのは、松本はいつもと同じように稽古場に向かいそのまま失踪した、という事実だけだった。部屋はいつも通り散らかったままで、旅に出るとか、誰かがこの部屋に侵入したといった痕跡は残されていなかった。  
  捜索に飽きてしまったのか、森口はテレビをつけたり、ビデオデッキのリモコンをいじったりしている。
「ちゃんと探してよ。ほんと使えないんだから」
と言いながらも、宮岡はあとどこを探せばよいか分からなくなっていた。手紙や古いノートに書かれたメモなども片っ端から目を通してみたが、それは他のメンバーもやっているだろうと宮岡は思った。  
  相変わらず、ビデオのリモコンをいじりながら、
「ねえ、やっぱり松本さんは自殺なんかする人じゃないね」
と森口が呟いた。
「当たり前でしょ、縁起でもないこと言わないでよ」
「やっぱり自殺じゃないや」
「何ぶつぶつ言ってんのよ」
「だって、ほら」
と森口はビデオのリモコンの再生のボタンを押した。聞き慣れた軽快な音楽とともに、五色の羽織を来た男達が積み上げられた座布団の上に座っていく。
「笑点」
「それが何、確かにトム君は落語が好きだったけど」
「いや、これ松本さんがいなくなった日の放送なんだ。ほら」
と巻き戻すと、画面の上にニュース速報のテロップが流れている。 ―東京全域に大雪警報、○×線、△□線、全線運行見合わせ・・・―
「先週の日曜だろ、これ」
「ほんとだ・・・」
「自殺しようとする人がその日のビデオの予約はしないよね。日曜日は松本さんは稽古場にいたんだから、きっと予約して稽古場に向かったんだよ」
と森口は少し鼻息を荒くしている。
「でも、じゃあ・・・誘拐?」
「それは無いだろ、だって稽古場には大勢、人がいたんだぜ」
「そうだよね・・・じゃあ手がかりは、五井沢村のバス停、だけか」
 窓の外はすっかり暗くなっている。結局二人とも途方に暮れて、お互い座り込んでしまっていた。再生されたままの笑点の笑い声が部屋に響いている。 ―帰ろうか―と宮岡が口にしようとしたその時、笑点の画面が突然ニュース画面に切り替わった。あまりの大雪に報道特別番組が始まったようである。キャスターが大雪の被害や各地の状況を伝えていた。画面が中継先の一面雪景色の田舎を映し出したとき、森口がとっさに一時停止を押した。
「どうしたの」
「うん・・・ねえ、確か」
「何」
「台本に登場する架空の地名って確か・・・」
そう言って森口は、巻き戻しボタンに手をかけた・・・。

つづく

次回は、第三話「ルート16」です、
お楽しみに。

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