
撮影は順調に進んでいた。 |
崎山は待っていた。ちょうどお昼休みの時間になったのか、窓の外はさっきよりも雑踏の賑わいが大きくなっている。みんな、昼飯を食いに会社から出てきたのだろう、と崎山は思った。そういえば、今朝から何も食べてないな、そうつぶやいて事務所の隅にある冷蔵庫から牛乳を取り出して一気に飲み干した。そしてまたいつもの席に座り、先週の出来事を思い出しながら待っていた。
あの郵便物が届いたのは、ちょうど1週間前のことだ。いつもは適当にしか目を通さない履歴書をその時は何度も読み返した。真ん中には緊張した顔で映った証明写真が貼ってあった。やたらと色が白い。
福井信介 23歳 イロハアナウンス学院出身
2年間、アナウンス学院で芝居の勉強をしました。カツゼツには自信があります。早口言葉なら一回目を通しただけで言えます。得意な早口言葉は「東京特許許可局」です。とにかく芝居をやっていきたいと思っています。
履歴書には乱雑な字で簡単な自己PRと芸歴が書かれていた。アナウンス学院在学中、何度か舞台を経験したらしい。基礎もしっかりしていそうだ。顔もグーで50発ぐらい殴った東山紀之に似ていて、そんなに悪くもない。崎山はすぐに受話器を取って福井という青年に連絡を取った。
「来週の12時、うちの事務所にきてくれ」
今、崎山プロダクションが抱えているタレントは一人だけだ。米倉という男で、よく鍛えた感じの筋肉が程よくついた、一見すると色男に見えなくもない俳優志望だ。有名になりたいと口では言う割にはさぼり癖があり、いつもふらふらしていて最近では事務所に顔も出さない。趣味はパチンコ。最近は上石神井のパチンコ屋に朝から並ぶのが日課らしい。この事務所に所属してきたタレント達はなぜかいいかげんなヤツが多い。採用した次の日から突然旅行に出かけて姿を消すヤツや、週末の新宿で派手にけんかをして警察のお世話になりいつも崎山を身元引受人として呼び出すヤツや、彼女に貢ぎすぎて自己破産したヤツ。仕事よりも彼らにきちんとした私生活を送らせることに必死だった。米倉はその中ではまあまあまともで、サボり癖があるとは言っても忘れた頃に事務所に顔を出す律儀な奴ではあった。
これまで崎山は、顔のつくりが良かったり、ちょっと人と違う特技があるというだけで誰でも簡単に所属させていた。そこには「こだわり」が全くなかったのだ。しかし、先週あの郵便配達員は一通の履歴書と共に、ある一つの「こだわり」を運び込んできたのだ。
「芝居だ。芝居の出来る人間を集めていこう」
一人目の希望の星はこの、福井信介だ。
「じゃあ、簡単に自己紹介してくれるかな」
Tシャツにジーンズというラフな格好で事務所にやってきた福井にお茶を出すと、崎山は早速面接を始めた。
「今日は早口言葉の本を持ってきました。どのページのどの早口言葉でも噛まずに言えます。好きな言葉は『愛』です。見ている人に愛を与える芝居をすることが僕のモットーです。僕のハートはいつも燃えています」
マッチ棒のような男だと崎山は思った。ひょろっとしていてどこか頼りない。でも心は燃えているか…なかなかいいんじゃないかな。経験もあるみたいだし即戦力にもなりそうだし。鼻が高いなあ。百歩譲れば端整な顔立ちと言えなくもないな。しかしいやらしい目つきだなあ。『好きな言葉は愛です』なんてくさいこと言って女を口説いてるんだろうか。
いや、人は見た目じゃない。中身だ。熱意だ。そう自分に言い聞かせる。一通り彼の自己紹介を聞いた後、得意の早口言葉を披露してもらうことにした。
「猪汁猪鍋猪丼猪シチュー、以上猪食試食審査員試食済み…」
「今日学校で剣劇ごっこ。きっかけ聞く子がごく聞かん気で、きっかけ聞く気か聞かん気かお小言くいくいきっかけをきく」
「オオガモコガモ、コガモもみ噛みゃコガモ小麦噛む」
「お茶立ちょ茶立ちょ…」
完璧だ。なかなかいい。うちの米倉なんかとにかく活舌が悪くて、大きなステージに立つとビビってオチで噛んだりするから次の仕事が来ない。それに比べれば月とスッポンだ。こいつはいけるぞ。プロダクション設立以来、初めての好感触だ。それから2時間、崎山は福井の早口言葉に酔いしれ、これからのことについてじっくり話をした。福井が笑顔で事務所を後にした時には、すでに夕暮れ時だった。崎山は、もう一度履歴書を見た。
「福井信介…期待できるな」
翌週、早速福井に大きな仕事が舞い込んできた。とにかく実践を、と考えた崎山は、この1週間ありとあらゆるオーディションを福井に受けさせていた。そのうちの一つからいい返事が来たのだ。TBSSテレビの金曜サスペンス劇場の出演。たった10分程度のちょっと格のいいエキストラ的役とは言え、全国ネットだ。崎山の胸は躍った。ようやくうちの事務所からスターが生まれるのか…
「オレの人生バラ色だもんね〜」
鏡に向かう崎山の笑顔はいつまでも消えなかった。
収録現場に向かう車の中で福井はずっと緊張した面持ちだった。手には早口言葉の本を握り締めている。ページをめくって取り付かれたように繰り返し繰り返し早口言葉を言っていたかと思えば、急に黙りこくってうつろな目で窓の外を眺めている。大丈夫なのか?気分が悪いのか?崎山は不安に思いつつ、ハンドルを握っていた。
車の中で、崎山と福井の間に会話はなかった。福井の気持ちを昂ぶらせないようにそっとしておいた方がいいと崎山は考えていた。完全に福井の才能を信じきっていたので、台詞はちゃんと覚えたのか、演技プランは立ててきたのか、崎山は福井に何も聞かなかった。
現場につく頃、福井の様子は更におかしくなっていた。もとから白い肌がいっそう白くなっている。
「風邪でもひいたのか?」
崎山はいよいよ不安になって聞いてみたが、福井は気持ちの悪い笑顔を作って答えた。
「いや、大丈夫です」
撮影は順調に進んでいた。福井の出番ももうそろそろのようだ。監督が福井に声をかけている。うんうん、どういう演技プランで行くのか話し合ってるのかな。福井、ビシっと決めていけ…よ…ん?
「何言ってんだ!?ふざけるな!!」
座ったままうなだれた福井に向かって監督が怒鳴った。なんなんだ、オレの希望の星が怒られている!
「僕…出来ないもん…出来ないもん…うっ、うっ…ママぁぁ〜!!」
あっけにとられるスタッフや共演者達を尻目に、福井はそう叫ぶと、早口言葉の本を握ったままスタジオを飛び出していった。
「うちの子ねえ、小さい頃から緊張した時に私がいないとダメな子ですのよお〜ホッホッホ」
受話器の向こうからスネ男ママのような声が響く。早口言葉の本はママが誕生日にプレゼントしてくれたものらしい。なるほどそれであんなに車の中で握り締めていたのか。
はあ…いくら基礎が出来ていて即戦力になっても、いざという時に力を発揮できないんじゃどうしようもない。マザコンじゃなあ…早口言葉という特技にだまされた気がした。特技を持ってるだけじゃなくて、特異な奴だったんだ。
「一から出直しか…ここまできたら焦ることはないか。じっくりこだわっていかなきゃな。芝居か…芝居…」
タバコの煙が天井に吸い込まれていく。オレには名俳優を育てる実力なんて無い。どうしたらいい具合に見つかるもんかなあ。崎山の頭の中では、楽して儲ける方法を生み出そうとするアドレナリンが放出されている。
「そうか…分かったぞ。芝居といえば…」
フィルターが燃え始めたタバコを揉み消し、崎山は立ち上がった。
つづく |