4月3日(土)・4日(日)
 
思ったより辛口

審査員のみなさん

毎公演何かひとつは稽古場でバカな企画をやりたいなあと企む私。作品の舞台が昭和29年ということもあり、今回はこんな企画を先日稽古場でやってみました。
ギブリアの泉〜舞台で使えるムダ知識〜
「へえ」でお馴染みの高視聴率番組をもじったこのタイトル。内容はというと、一人にひとつのお題を出し、そのお題の昭和29年を調べて発表しようという、かなりマジメなもの。何せ紙幣一枚舞台で使うのにも、「当時の高価な札は百円?千円?」ってな世界ですから、これは全員総出で時代考証をせなあかんわけです。お題は、ラジオ、レコード盤、髪型、のようなものから、ごみ、履物、といった細かいものまで様々。メンバーがひとつのお題を決め、一ヶ月の期間で調べてくるという、ある種過酷なバカ企画となりました。
 
 そしてその発表会が先日行われました。審査員は五名。一人20へえの持ち点で100へえで満点。ちゃんと「へえ」と音の出るボタンまで用意して頂き(押しすぎてすぐ壊れた)、何故か稽古の時より張り詰めた空気の中、制限時間2分の発表が始まります。
 オイラはホンを書いてるんだからさすがにいろいろ調べたもんね、簡単にへえは出さないぞ、とタモさん気分で審査に臨んだのですが、周りの審査員が思ったより
辛口で、それではみんなの苦労が報われないなと思い、一転して、ビビる大木状態に。へえを連発です。でも実際、みんなかなり気合いの入ったリサーチで、当時の写真やデータを駆使して、企画者の予想をはるかに超えた、ハイレベルな戦いとなりました。

 なかでも会場から「へえ」が連発されたネタは、
 「一円玉は当時アルミではない」
―知らなければ、舞台でアルミの一円玉を使うところでした。
 「ラジオドラマ―君の名は―が放送された時間は、銭湯の女湯から人がいなくなった。という伝説は映画広報担当のでっちあげだった」
―という説もあるみたいです。
 「当時の不燃ごみは、バタ屋と呼ばれる職業の人が持っていっていたので、ほとんど無かったに等しい」
―完璧なリサイクル社会だったようです。。

いささか先生の本名は

伊佐坂難物である。「へえ〜」

 そして会場がどよめくほどの「へえ」を出したのは、「流行」というお題で、ヒロポン(当時の覚せい剤)を調べた春日雄大の、
「サザエさんのいささか先生も、ヒロポンの常用者だった」
というギブリア。これは本家の番組に送っても採用されるんじゃないでしょうか。ヒロポンは昭和25年くらいまで、市販されてたんですねえ。新聞広告なんかもあったみたい。

 そして優勝は、「電話」というお題で、当時の画像と自分のイラストを駆使してパネルトークを展開した、あづさに決定。審査員満場一致の「
100へえ」でした。