『ビール』

日本にビールが入ってきたのは万延元年(1860)。幕府の第一回遣米使節の一人、玉虫左太夫は初めてビールを飲んで「苦味ナレドモ口ヲ湿スニ足ル」と書いたそうです。
明治5年に大阪で渋谷庄三郎が日本人では初めてビールの醸造・販売を本格的に開始、翌6年には甲府で野口正章が、そして9年には札幌で北海道開拓使麦酒醸造所が創設され、中川清兵衛を中心に醸造を開始、翌10年には東京に出荷。こうして日本のビール産業の歴史は幕を開けることとなります。

時は昭和に移り、戦中はビール産業も低迷しますが、戦後の混乱のなかでビール会社は復興への努力を開始しました。
 昭和24年、トップメーカーである大日本麦酒が2分割されて戦後の新しい体制ができあがります。(*各社の商標がない戦時中のビールのラベル。“日本”“アサヒ”“キリン”の商標が復活したのは、昭和24年12月、さらに、カラーになったのは昭和32年1月でした。ラベル写真→)酒類配給公団が廃止され、ビール会社は自由に出荷・販売できるようになりました。同年6月には料飲店の再開を待ってビアホールも各地で復活、大にぎわいだったそうです。ちなみに東京都内では500ml入りジョッキ1杯が130円。28年には戦前の最高水準を超す生産高を達成するまでになりました。
 昭和30年代高度経済成長期には、所得倍増の波に乗ってビールの需要も大幅に伸び、家庭で飲まれるビールが飛躍的に伸びてきています。電気冷蔵庫が普及したのもこの時期で、家庭に買い置きされたビールが食卓に並ぶことになったのも大きな原因でしょう。

【ちょっとギブリア】
[ホッピー] 1948年に登場。ビールが高嶺の花であった当時、ホッピーはビールの代用品として人々に受け入れられ爆発的に売れた。「焼酎割り飲料 ホッピー」としての飲み方も、この当時に生まれました。
「本物のホップを使った本物のノンビア」との意味をこめてホッーと名づけられましたが、発音がしづらくホッピーになったそうです。

【そしてギブリア】
昭和12年 サントリー角瓶発売
昭和21年 トリスウィスキー発売
昭和23年 ホッピー発売
昭和24年 焼酎ハイボール世に出回り始める
昭和25年 サントリーオールド発売